2011年3月29日火曜日

マグカップ

PH_71

写真は、俺が大学を修了する時に同じ研究室の友人が使っていた物を「もう要らない」と言ったので引き取った物。俺はその友人の事を忘れたくなかったので、是非にも、と言って貰った物だ。仙台に来て3回、大きな地震があって、台所の棚から転げ落ちたけど、傷一つ付かず、今も生き残っている。

俺にとって、生と死は等価だ。地震や津波は何の意味も持たず、ただ発生して消えるだけである事と通じる部分もある。

だから、生き残ったからと言って嬉しいとは限らない。
死んでしまったからと言って悲しいとは限らない。
生きることも、死ぬことも、単なる現象の現れであるに過ぎない。

しかし、今、俺は、全く説明のつかない心境にある。
どう表現していいのか、俺の貧弱な語彙では全く分からない。
こういう時、信仰という便利な道具を持っている人は楽である、とは想像できる。
だが残念なことに、俺はそれに相当する道具を持っていない。

このマグカップのように、時が過ぎ、様々な現象に遭遇しても、変わらず、ありのままで居続けられたら、それはとても幸福なことではないだろうか。