2012年12月11日火曜日

GATT Uruguay round

これが盛んにニュースになっていた頃は、ちょうど思春期の頃だった。その時住んでいた場所は当たり前のように米の生産が盛んな所で、畑よりも田んぼの方が圧倒的に多かった。景観的には、夏は青々とした稲の葉が、冬は一面の銀世界で、非常に美しかったように思う。実家はいわゆる第2種兼業農家で、自分で食べる分以上の米、要するに余った米だけを農協に売って、年に1回の臨時収入を得ていた。もちろん、専業農家をしている人も大勢居て、兼業農家の方が少数だったような気がする。

今でも大して考える頭を持っている訳では無いが、当時はもっと考える頭なんて持っていなかった。そんな時代の記憶だが、今でもハッキリと覚えているのは大きな不公平感だ。米は例外的過ぎる。大体、生産しないで減反すると収入が得られるなんて根本的に間違っているだろう?

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今では当時大騒ぎしていた理由も、米が非常にsensitiveな案件であることも理解できるので、昔のことをどうのこうの言うつもりも無いのだが、やっぱり、ふと、考えてしまう。

貿易を自由化する場合、短期的には、保護する必要のある国内産業があるだろう。競争力の無い産業に従事している人の生活を守ることも政府の責務だろうし。でも、Uruguay roundから、今年で何年経つだろう? その間、日本の農家は競争力を高める努力をしてきたのだろうか? 一体いつまで保護しなければいけないんだろう?

iPadやらNexusに、米と同じぐらいの関税が掛けられたらどう思うだろう。食料自給率の問題もあるし、工業製品と農業製品を同じように論じるべきでは無い、と考えるのもいい。しかし、不況でリストラされた電機メーカーの社員からしてみれば、死活問題に変わりはあるまい。

どうせ平等とか公平なんてものは極端な理想論でしか無い。数少ない真理の1つだと、勝手に思っている。